9時開始のU23を控え、出場選手とスタッフは朝6時に朝食を取り、7時半には新城、三瀧、村山、畑中の4人が自走でスタート地点に向かった。
天気は晴れてはいたものの霧が濃く、8kmほどの道のりを走るだけで
自転車や髪の毛が濡れてしまうほどだ。気温は20度くらいだが、日陰にいるとどんどん体が冷えていくため、スタート直前までアームカバーとウインドブレーカーが手放せなかった。
4人はいつも通り笑顔でピットに入ったが、やはり緊張していないとは言えないようだ。畑中は会場について5回もトイレに行き、新城はチームピットを出る前に、「ヤバイ、もう世界選が始まっちゃった!」と叫ぶ。4人はただ参加するだけでなく、勝負に来ていた。
出場選手177名。スタートはゼッケン順だったため、ゼッケン122〜125番の日本代表は後方に並ばされる。スローペースで進む集団が、スタッフの控える第1ピットゾーン(スタートから1.3km地点)を通る頃も、4人は集団の後ろに位置する。
そんな状況下で、新城は確実に集団順位を上げていく。やがて1周目を終えるとき、新城は7位でフィニッシュラインを通過。その後も常に集団の前で展開する。
一方、新城のアシストを買って出た3人は、なかなか前に上がれない。畑中は膝の故障が影響し、3周目終了時点で172位。厳しい坂を上るときには国際中継のテレビカメラに追われ、苦しさにゆがむ顔=このレースの厳しさを表現するために使われた。
4周目終了時点ではリトアニア選手と2人だけで前を追う。ピットでは畑中を励ますために、できるだけ平常心で補給の準備をする。しかし、畑中はこちらには目もくれず、ただ前を見てペダルを回した。隣にいたリトアニア選手がスピードを緩めて自国のピットに止まったときでさえ、そちらに目をやることはなかった。
やがて村山と畑中が、5周め終了時点でリタイア。2人の周回ごとのフィニッシュライン通過順位は、村山が165位、163位、166位、164位、161位、畑中が155位、166位、172位、171位、166位。ほとんど集団の後ろにいたことがわかる。レース前、あれだけ元気にしていた彼らは、ピットに入るなりふさぎ込み、世界選という現実に打ちのめされたボクサーのようにただ座っていた。
新城のアシストとして唯一生き残った三瀧は、6周目の上りで落車に巻き込まれて脚を止められる。幸い三瀧自身の落車はなかったが、その間に集団との差が開く。そこは何とか追いつくが、脚を使ったのが響いたか次の周回で遅れ、ひとり旅の三瀧は、コミッセールの「ストップ」という言葉を聞くか聞かないかに追い込まれる。最終周回ではピットの前で一瞬スピードを緩めるが、コミッセールの「ゴー」という言葉に逆に励まされ、完走目指して前へ進む。
レースのほうはファイナルラップで決まった6人の逃げが、主導権を握る。6人の国籍を見ると、ドイツ、フランス、ロシア、イタリア、ベルギー、オランダと競合ぞろいだ。それを追う集団に残る新城は、とにかく集団を引っ張って、あと50mのところまで迫る。周囲は逃げに選手を送った国の選手ばかり。自分で追うしかほかに方法はない。
結局、逃げが決まって新城は集団ゴール。タイムは4時間55秒で、トップとの差はわずか5秒だった。
ピットに戻ってきた新城は、藤野コーチに向かって「すみません」と謝り、「クソッ!」と自分の成績を罵った。しかし周囲からしてみたら、各自の記憶をすべて持ち出しても、世界選手権という舞台で総合14位という成績は聞いたことがない。日本人最高位を打ち出しても、それに満足しない新城の器の大きさを感じられる。今年でU23のカテゴリーを終える新城。
今後のエリートでの活躍も期待したい