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| 2005ロード世界選手権 男子エリートロードレース |
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開催場所:マドリッド 273km(21km×13) |
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| 「10年ぶり」1名と「初参戦」2名 出走する3名は大ベテランだが、飯島選手はロードでは10年ぶり、 福島兄弟にとっては、初の世界選手権出場となる。 「完走」という壁を破るために GIANTで走り、日本人選手を良く知る マキュワンが ニコニコ笑ってやって来た。 「また、康司は最初からグーンと逃げに行くんじゃないの?」 ふっと康司の言葉を思い出す。 「うん。行かせてくれるなら、行きたいけどね」 そう、康司は逃げたがっていた。 それが彼の持ち味であり、結果を残したレースは、 どれもその味をフルに活かして勝ち取ったものだった。 しかし、臨むは世界選手権。 「行かせてくれるでしょう、最初の逃げなんて」 大門監督は語っていた。 このメンバーで走る、このスピードサーキットにおいて、 冒頭の逃げが結果に結びつく望みは、あまり持てないだろう。 他の日本人選手のアシストになる見込みも薄く、 一瞬の注目と引き換えに、大きな消耗のリスクを得る可能性が高い。 近年、日本から世界選手権への派遣は、98、03、04年に一人ずつ。 完走は、プロアマ一本化前の市川雅敏氏以来、達成できていない 高くそそりたった壁だった。 そこに獲得した3名の選手枠。 ジャパンナショナルチームプロジェクト初年度、 世界選手権の目標は、「ひとりでも多くの完走者を出すこと」 3人はまず「完走」という壁を打ち破らなくてはならない。 スタート 選手たちはアップに向かい、スタッフは持ち場に向かう。 今日のチームカーはニュージーランドと共有だ。 スタート前、最前列にはホスト国スペインの選手がずらりとならび、 スター選手が顔を揃えていた。各国のメディアが群がる。 10時、スタートの号砲が鳴った。 一周21kmの13周。この273kmを征するのは誰なのか、 そして、何人の選手が、フィニッシュラインに帰って来られるのだろう。 今回のような1周21kmといった長い設定の周回では、 小周回と比べ、ポイントとなる箇所が少なくなり、 ペースの変化や大きな揺さぶりが起こりにくい。 また、ラップされる可能性自体も低くなる。 完走を目的とするならば、有利なコース設定である。 周囲にあわせて走る能力に長けている 飯島、福島晋一の完走は間違いないだろうと言われていた。 晋一は、イタリア遠征で頭から落車、数針を縫ったが、 すでにすっかり回復し、モチベーションも上がっていた。 そして、このコースは、飯島が最も得意とする種類のものだった。 調子も、メンバーの中で最も好調だった。 康司は、直前のレースで落車、ダメージを負っての参戦だったが なみなみならぬ気合いを感じさせていた。 3人の実力は十分高い。 レースの中で、揺さぶりがかかるシーンが、必ずやって来る。 そのときさえ、集団の中で耐えきることができれば、 完走は確実だろう。 ただ、ひとたび集団から、切れてしまったなら、 非常にタフな事態に直面することになる。 このスピードコース、本気になった集団が生み出すスピードは 千切れた数人が太刀打ちできるレベルではないだろうからだ。 逃げにも動じぬ集団 ヴァシレフ(ブルガリア)が一人飛び出した。 だが、集団はどこ吹く風。 ドリンクを飲み、補食を食べ、談笑している。 前日のエスポワールとは、全く空気が違う。 ヴァシレフは75kmほど独走し、 集団とのタイム差は12分近くまで開いた。 ヴァシレフにロペス(コロンビア) レーズン(USA)とムラフエフ(カザフスタン)が合流。 集団のタイム差は7分台になったものの、 コースの半分を終了しても、メイン集団には大きな変動がないままだった。集団の前方には英国の新デザインジャージが鮮やかだ。 いよいよ、レースが始まる。 残り100kmのあたりから、レースが動き出す気配が漂って来た。 ディフェンディングチャンピオンを抱え、ホスト国であるスペイン、そしてペタッキやベッティーニが控えるイタリア勢が集団前方で動き出し、 先頭から遅れたロペス、大健闘したヴァシレフを吸収した。 集団の速度は、45km/hまで上がっていた。 だが、ここで康司が遅れた。 イラン選手と二人で集団を追うが、 いったんペースアップした集団との差は、 見る見るうちに開いて行く。 追いつけるか、はたまた、完走できるのか。 数時間前、ゆったりと目の前を通り過ぎて行った集団は、 今や、全くの別物と化していた。 レースの前方には、有名な選手の姿が見え隠れし始める。 これが、トップレベルの選手による273kmという長距離の戦い方なのか。 安定したペースで走っていたかに見えた飯島が遅れ始めた。 ひとたび遅れると、差は確実に開いて行く。 残り3周。先頭を走っていたレーズンとムラフエフもついに吸収された。 先頭を引くのは、オーストラリアだ。 形成された11名の先頭集団には、ベッティーニ(イタリア)、ジルベール(ベルギー)ペレイロ、バルベルデ(スペイン)デイビス(オーストラリア)ピール(デンマーク)ウェーグマン(ドイツ)等が入る。 残り2周。 生命を吹き込まれた集団は、途切れながらも、長く続く。 晋一はぎりぎり後方に食らいつき、ヴィノクロフと肩を並べて走っていた。ペースダウンも見えない。完走は堅いだろう。 補給地点で飯島と康司を待つ。 晋一から13分遅れて飯島、そこからさらに8分遅れて康司。 藤野コーチが、日本と書かれたボトルを手渡すと、 がっちり受け取って走り抜けて行った。 もう、前しか見ていない。 そのころ、集団はヒートアップ、最終周回に入ろうとしていた。 先頭集団から抜け出したベッティーニとウェーグマンが先行、 オランダ、オーストラリアが必死にメイン集団を引き、 273kmの結末 レースはクライマックスを迎えようとしていた。 クローン(オランダ)がアタック。 ベッティーニ(イタリア)、ヴィノクロフ(カザフ)、 ディーン(ニュージーランド)らが追いつき、 10名ほどの先頭グループを形成。 ベッティーニが、ヴィノクロフが、 ムーレンホウト、ボーヘルト(オランダ) スタンゲリ(スロベニア)....次々と飛び出しては、吸収されて行く。 残り500m、最後の最後に姿を現したのは、 バルベルデ(スペイン)、ボーネン(ベルギー)...... 伸びたのは、ボーネンだった。 勝利を確信し、両手を突き上げてフィニッシュラインを越えた。 福島晋一は125位でフィニッシュ。 そして、飯島誠も135位で完走を果たした。 |
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